グローバルダイニング判決日にタイミングよく(?)論座に記事がアップされました。
サブタイトルに『政治家たちに主権を横取りされるな。今こそ主権者として「覚醒」を』とあるとおり、政治家たちがご都合主義的に援用する「主権者国民」ではなく、血の通った、人の顔をした主権者であるために、砂川事件を題材に論じました。
キーマンは砂川事件判決の際の最高裁判事2人。田中耕太郎と入江俊郎。
共通するのは、日本国憲法制定過程に当事者として携わっていることと、高度に政治的な現場を経て、「憲法の番人」の椅子に座っていることです。二人は間違いなく、日本国憲法の“原風景”を見ていたはず。
では、この二人はこの判決にどういう思いを込めたのだろうというのが出発点です。
この判決には、似て非なる
①田中の主題=司法消極主義(自制)、日米同盟=反共、権威主義
②入江の主題=権力分立を基礎とした司法の内在的制約、主権者の責任、憲法の理想と弱点の的確な認識
という二つの主題が併存しています。
しかし、その後、日本社会で変奏されたのは主権者の声を「雑音」と言い捨てる「田中の主題」のみだった。
それが象徴的に結実しているのが、2015年安保法制での歪んだ憲法解釈に砂川判決が援用されていることです。
入江が砂川判決に埋め込んだ魂(主題)とはなんだったのか、なぜそれは変奏されなかったのか。
我々「主権者」が、戦後日本で見せかけの「成長=現状維持」という名の社会の地盤沈下と思考停止ゲームを行っているうちに、主権は「横取り」され続けてきました。
主権の覚醒のための起爆剤としての、物語です。よろしければ是非!
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https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022051100002.html?page=1
※以前、自身の毎週の配信 #クソすば で『”憲法の番人の番人”の物語』としてお話したもの( https://www.youtube.com/watch?v=UWYYcjXjzDU ) を、まとめてみました。お時間ある方は動画もどうぞ。